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真火星 (hommage)

  • 一般小説

    小学校低学年向け,エノク書,ファンタジー,横山光輝ファン,三つのシモベ,ラヴクラフト,カミ芝居,SF,わやくちゃ,ホラ三昧

    作品タイトル:真火星 (hommage)

    エピソード名:22.  ウラヌス参。(D5)

    作者名:gatehiro

    SF | 連載中 | 84話 | 696,240文字

    今回はわりと簡単だった。年内はどうだろ〜やらんかもしれんし、やらずにはおれんようになるかもしれないし、わからん。割りと大きめの課題が3つも控えている、エナガ改の完成と三の法則等。


    エノクが降り立った基底部はゲッター線で満ち溢れたそれの吹き溜まりだから。
    設備が古いんで、もう安全性なんて、あったもんじゃない。
    普通の人間だったら一発でアウト!
    ちゃうわ〜放射能やわ…。


    画像生成AIの助けをかりれべば、いろいろとガイアーの姿も描けるのだが、
    自分はこれやんない。切り抜きコピペのみで勝負。
    動きを表す表現ができないんだけど……。


    ザックリ大きな課題としてあるのは、
    三者は共に消失と再出現としての展開を潜り抜けるのだ。
    エノクは済んだ。あとの残りはNとG……。

    E3進行中…でも難航中。

    今、取り組んでいるのはN3になるんだけど〜、変なところで引っかかってしまっているのさ。
    無底との一体化のシーン…。どうしてなのか、事細かに、そのプロセスを、自分はやろうとしてる。これをやるってことはだよ〜、自分としても、それをやっちゃうに等しいんだ。

    あちらは「不在としての在」で、言っちゃえばご本尊、御大しか、本当のところは実在してない。それも意識体オンリーとしてのね。そのあちら側としての、その宇宙の特徴は、分裂病的ってことにて要約され得る。バラバラの情報を束ねてる、統合してあるのがアレの意思ってことになる。この絵は砂鉄に対しての磁化作用の結果なんだけど、この目に見えない磁力こそがアレそのものを表してる。

    Nは一旦、同化するにおいておもしろい経験をするんだ。彼にとってはなにも新しいことではないだろうが、この自分にとっては初めての体験になる。ちゃんとやっていいんだろうか?。かなり抽象的な表現となってしまうでしょう!。

    あちらの世界としてのそのモデルは、夜の繁華街を車に乗って走ってて……それも夜なんだけど、フロントガラス越しに見る、街の光のハレーションが使われる。実際には何もありえない濡れてきらびやかな光の滲みこそが、あちら世界を実際には形作っているんだ……。
    今しばらくお時間を。
    草々
    天村


    構想:「善神」と「悪神」による宇宙的闘争…。

    ちょっと自分としての構想を話しておく。
    自分としての本音は、あの「磔にされて」に詳しい。

    神が上方遥かにおわして、その座より転落したるものが、遥か下方にて所在して在る。
    この彼は、神とほぼ同値としての存在であったが神への反逆をもって、敗残し、地獄への転落を余儀なくされる。この変位において根本的なる変質がその彼に於いてはもたらされてしまう。これら二強の、それらによって成り立つ二極によって、それら二種の、影響下の元に、それら二種の牽引力に、同時に曝されながら、我々としての生存は、その精神世界は、成り立っている、
    ある……。

    基本、天地の隔てをもってなる、それらによって分かたれて限定されてある空間領域が、我らの生存の場、生存圏。地面の上、それの上っ面としての地上、地平が、汝らが生きるべくしてのそれだ、そこだってことになる。*この域を出るのは死をもってでしかない。*この星を離れて人の生存はまずあり得ない。だから無駄なことなんだ…。

    大地の下ってのは確かにあるにはあるってことは分かるんだが、所詮は我々は預かり知らない世界。物質密度の高きをもって遮断拒絶が為されてしまってる。つまりはブラックボックスとしてのもの、その場、その世界でしかない。

    このモデル図におけるy軸としての直降下としての矢印は、そのベクトルは、「創造の光」としてのもの。それの進展具合を表してある。下に行けばゆくほど、ものごとは粗雑に、荒くに、重くに、なってゆく。それとしてのものへと変ってゆく。このことは振動数が段々と落ちっていった、効力効能を果たす上で、その質を、失くしていった、喪失していった、著しく、衰えさせていったことの、その反映、その結果なのだ。

    あのオレンジの平面が一種の境界線、バウンダリー。其処への到達をもって、
    それ以降はそれ以後の世界としてのものは、質が変ってしまってる。まったくもって……。

    このブラックボックスとしてのその領域内に、地獄としてのその獄舎は存在してあるんだよっと。この手の教えが残されている。このことは権威ある書籍にもちゃんと記述されているんで、あながち眉唾としてのも〜のっ、空想妄想譚としての話しでもでもあるまいて…。

    ここまでが確定事項としてのものになる。

    こっからが話しは違ってくる。ちょっと毛色が変ってくる。きてしまう。
    思索、スペキュレイティブな発想においての、その妄想空想話しでしかなくなる。

    上の神に対して、下の神たるものを設定したんだ。誰かさんは…。

    この下としての世界は、その宇宙は、不在としてのものになる。

    可能性においてまでで、不胎化の状態にある。

    この領域に上の神と同値なるものを置いてみた。

    *このことによって不胎化でありながら、活動可能になった。

    ことの原因は上の神の意向においてだ。彼に押しつけるw。

    そしてご自身としてのそのご権能と「等しくしての力」を与えた。

    要は鏡像としてもの…。

    それとしての関係性において両極性は確立されてある。

    どうしてそんなことをしたのかと云うと〜、対立機構としてのものがどうしても更なる発展進化においては必要な要素だと思われたから。緊張状態を自ら作り出す必要があった。
    能力、力的にご自身とまったく同じとされた。ただし、その指向性はまったっくの真逆。

    違うのが、それは現実としての事象の一切に対して、なんの判断もなく、全否定の立場をとることにあること。それのみが価値、目的、存在原理。鏡に写ってあるその表の世界の一切を、無効化することにおいてこそそれとしての存在意義はある。

    この辺は小松左京さんの、あの考察に準拠してる。


    追記:
    鏡像であるってところが味噌!
    鏡像はそれが自分の写し身であることが分かっているからこそ〜、
    まだ平静であれる。
    だがだ、もしその写し身が、両者ともに、見知らぬ完全なる他者で会ったならどうだ?
    確実にその対象に対しての【全否定】としての立場へと傾き定まる。
    確実にそうなってしまう!
    神ご自身も、自分がそれを創造したことは完璧に忘れられてしまってる。
    *敢えてをもってして……。

    ここは原動力としての感情面の話しになる。
    ことにおいてのダイナミズム、その根拠。
    これ、つまりは徹底的な否定の感情、憎悪をもって、
    すべては回転を始めてあるのだ。


    それとしてのものとしてあるべくして、プログラムがなされてあるんだ。
    盲目で白痴であることがあれとしての特徴なので、
    そんなことになってるなんてまったく知らない。
    分かっていたとしてもどうでもいい…
    とにかく対象としてあるものがどうしても狂おしいまでに憎いんだっと…。

    だから、それには、なんの自分としての考えはないんだ。
    自分ってゆうコンセプトもほんとうのところはない。
    あくまでも便宜的なもんでしかないんだ…。

    表があくまでも正気を貫徹してある世界なら、こちらとしては狂気としてのその有り様しかない、あり得ないっと…。表が清らかなるを志向するならば、こちらは汚穢としてのそれへの偏向変質しかあり得ないではないか〜!っと。

    これら上の神、下の神の存在をもって、物語内おける二極は設定されてある。

    不在なるものが、そのイレギュラーな存在が適ってあるのは、
    在としての上の神がおられるが故。

    上の神が創造の光をもってしての世界創造を果たしているのなら、この展開に下の神はまったく浴してない、関係はしていないのだが、下の神は下の神なりに、世界破壊、破綻としての展開をその不在の位相、位置より開始する。

    これでまったく異なる対立する二極ってのが設定される運びとなった。
    これこそが自分の求めた世界、宇宙観。

    ところであのサタンたるものはどうなるのか?

    あれは自分としてはトリックスターとしてのものになるんだろな〜って思ってる。
    それとしての扱いにせなあかんねやろな〜って思ってる。

    基本あれは天上界から堕落せるものになる。

    よって、【無底】、つまりは下の神の、慰めものになった、なってる。

    このことは恐ろしい事態なのだよ。あの彼にとっては…‥。

    彼のみに対しての処罰、対処、その扱いだけにとどまらず、
    飛鳥了をまとってあったあの彼に対しての自分なりの断罪としてもある。

    このサタンとしてのものも、それとしてのシャドウがまた存在する。
    存在させねばならないんだ。これがウリエル。
    彼に関してはまだよくわからない。どうしてそうなるのかさえも…。

    すべては物語自体がことを明かしてくれる、ゆくんのであろう……。


    ps.
    この物語はどうしたものなんかすんごいパワーをもっている。かって、だれかが語ったことなのだが、物語自体が作者を操ってるってのが本当のところ。だから、やるのがすんごくしんどいんだ…そんでまた、やりがいが、どうしたもんなんか、またあるんだ〜。

    次回、またもや文字数多い割に、話しはあまり進まず。

    めんご


    追追記:
    下なる神として、真に我ら人類が崇めるべき存在として、ガイアを置いた作家がかっていたな。KKだ。あのヴァンパイヤー戦争においての彼の発案考案であり願いであったところのアイデア。でもこれは完璧に間違い、余りに恣意性に富みすぎ、偏ってるんで駄目。彼は絶対精神としての神そのものをどうしても否定せねばならなかったのだ。これも大いなる勘違いにて基づいてのことであるのが自分には分かる…。否定すべきなのは、神の、まったく不在としてある、バチカンによる教会権力そのもの、その権力機構なのだ!。偶像崇拝そのものこそがーーに、なるはず。

    この権威たるものは、この聖性をまったく欠いたところの権力は、
    あちらこちらにある。それらのシンボルとしてバチカンが、カソリックが、
    いやキリスト教的理念社会がやり玉に挙げられている迄。

    それは、それらは単なる集金マシーンに堕ちている。



    草々


    次回は、Ian miller(英) の世界になる…もう確実に!。
    本体に一旦回収されて、それをもっての遁走劇。
    瞬時に一切の状況を理解し、次点の策を打つ。
    誰かの身体を乗っ取って、これからの現場におけるその指揮をとる。
    その辺の遁走と再登場をやるの。やらなければならないの。
    催促が多いんで…。
    至極圧縮した形にてそれじきやります……。


    挟み込むことが、できるのかどうか、まだ分からないのだが、時間牢の発動と時を同じくして、天界においても変化が起こってるんだ…。まあこのことは、この能力の背景においてのヒントにしかならない。力を振るってあるのが誰なのか?、その力の源が本当はなんなのか?の話でしかな〜いっと。意味のわからん絵の嵌め込み、それらの陳列が出現するかもね〜。察したってねっと。*三つに分かれる前の、原初の、根源的なる、一としての力!。

    冥王星が主役と自分では勝手に思ってる。
    ならばだ、プルートの出番じゃん……今年中にもうやってまう。
    なにが起こっても知らないからね〜
    ことはなにごとにおいても、同期してあるにしかないんだから…
    それの力を借りて、書かれてあるまでなのだから…
    本編回帰じゃ。

    たぶん米は国が割れる。
    完全なる独立州が生まれる。
    前回のことを鑑みるならばだ…。

    出だしは海辺の研究施設。
    途中で、上空にて滞空してある彼の居城のシーンが挟み込まれる。
    この回においては真面目にやります。文章で。草々

    ガイアーの原型はあれでしょう。
    ツタンカーメンでないってところがミッソ。
    このファラオは一神教へと舵取ったからね。
    それでエジプトはダメになっちゃんだけんどね〜。
    ”恩寵”の源のみを絶対視して、生活に密接にして直接に関わってくる”恩恵”を、
    それを与えてくれているそっちを、ないがしろにするようになった?。


    ごめんやっつけです。黒星つけなあかんやつやね‥。
    死神博士が蛸ゲルゲになる件がやれんかった。
    というか〜、入れられんかったんよ〜!。

    ことはだ、遠大なる迂回、その周回運動にて、エネルギーを
    現在高めていってるんだ…。D2D3D4にてその真価は試されることとなる。
    もし無事渡りきることができたなら…なにかが起こる!。
    構想においてアイデアのその多きにて、当分は未だやれん。
    ときを置けば置くほどその内容は語るに難しくなってゆくー。
    結局、ほんまに、やれんのだろうか?やるのだろうか?!…。


    やっと分かった、ウリエルとタルタロスの登場は、戦闘の舞台を完全に人界より遮断する目的においてなのだ!。特殊な場の設えの為。ならばもう思う存分限りなくしての戦闘を描くことが可能になるではないか!。できね〜けど…。でも創作においての、ある種のリミッターは、間違いなく、外れる!…。

    この作品はじつはかっての幼き頃の自分を読者の皆さんに投げかけての、
    その彼に向けてのサービスとして書かれている。
    彼には、今の時代であるからこそ、この手のロマンがいる。
    それなりに渾身の限りをもって創作には努めさせていただきます。